こんにちは
さようなら
おはよう
おやすみなさい
今度 とか
いつか があるのならば
そのときは
どうか このしずかな海のように
ゆるやかに ただよって
あいされますように
またね
さようなら
おやすみなさい
*
さて、久々の更新となってしまいました!
細々とお知らせしたいこともあったのですが・・・
ひとまず落ち着きました!というご報告です。
1月の中旬に私の父親が亡くなりました。
離婚して離れて暮らしていた実の父です。
あまりいい思い出のある父ではなかったのですが、
やはり強い影響を私に与えていた人のなかの1人だったので
亡くなった時はいろいろ考えました。
あと、事務的な事とか常識知らずなのでドタバタしてしまい・・・
1ヶ月経って漸く落ち着いてきたなー、と。
人が亡くなってみて思うのは、
やはりそれは大変なものなのだという事。
そこに良い人とか悪い人とかはあまり関係なく
人が亡くなるというのは大変なことなのです。
人はやはり1人で生きているのではないと思います。
独りでも、1人ではない筈です。
だって、生まれてきてるから。
少なくとも誰かに作られて生まれてきている。
生まれたばかりの赤ん坊は放っておいたら死んでしまいます。
哺乳類として人間の形で生まれてきても
1人では立つことも食べることもできないのが人間です。
なんて未熟な状態で生まれてくるのか!
私が牛だったら、そんな赤ん坊怒ってしまうかもしれない。笑
でもね、人間だからそうはしないの。
みんなだってそうやって今まで育ってきたから。
親でも兄弟でも見ず知らずの人にでも
誰かしらのお世話になって育ってきてるのです。
生まれて、育つ。生活する。
それが1人では出来なかったのだから
やはり亡くなる時もそうなんだと。
そんな、ありきたりで当たり前な事を実感しました。
だから、残された私たちはこれからの残り時間
馬鹿みたいに愛情を捧げて生きていけば良い。
いつ死ぬかなんてわからないから
感謝の言葉と好きって気持ちは躊躇わず伝えて、
いろんな人と関わって、
そんでもって辛い事とか楽しい事とか悲しい事とか幸せな事
ぜーんぶ味わいつくして死ねば良い。
父との苦しい繋がりは私の中で残り、
私は抗い続ける。
人同士、そう在り続ける。
そして、私もまたそうやっていつか途絶えた時に
何かを残していく。
そうやって、廻っていく。
私は今日も、生きています。